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沈黙をなくしたり、ただしゃべったりすることがコミュニケーション能力ではないと思う

コミュニケーションについての考察記事です。

人はどこに行っても人間関係で悩む

「給料はそこそこで良いから人間関係が良い職場で働きたい」

こんな話をよく聞く。

私自身も概ねこう思っている。

 

実際世の中には、「人間関係がうまくいかない」という理由から「会社を辞めたい」と思っている人は多いと思う。

 

というか会社に限らず、人生に悩みが生まれる大きな要因の一つに、【他者】の存在があることは間違いない。

なぜなら、人は基本的には自分の思い通りに生きたいと思っているが、他者の言動はコントーロールすることができないからだ。

他者の言動はコントロールできないから、何気なく心に刺さるようなことを言われて、その日一日を最悪な気分で過ごすことになったり、それを言った本人が特別意図なく言った言葉に、夜も眠れないほど悩んだりもする。

 

会社のようにたくさんの人が集まる場所に行くと、人間関係って本当に難しいのだなとつくづく思う。

コミュニケーション能力がなかった

私自身の話をすると、私はずっと、子どもの頃からコミュニケーション能力が人よりも劣っているという自負があった。

 

気軽に人に話しかけることができなかったのだ。

2人で話すのは苦手じゃなかったけど、複数人で集まると途端に話せなくなった。

 

一言で言うなら【人見知り】ということになるのだと思う。

 

それでも中学校や高校の頃は、テキトーに愛想笑いをしていれば、友達はできたし、彼女もできた。

ところが大学に入った頃から、私はひどく人とのコミュニケーションに悩むことになった。

 

大学で出会った人たちは、例外なく皆よくしゃべった。

会話の返答がうまかったし、サークルのような複数人での会話のやりとりもうまかった。

中学や高校の頃はクラスというまとまりが存在し、毎日顔を合わせることで、不思議と親近感のようなものが生まれていた気がする。特別働きかけてなくても友達になれるような。

でも大学ではそうじゃなかった。

クラスという単位がなかったし、サークルだっていつも同じメンバーで毎日集まるとうわけでもなかったし、熱心に誰かに自分から話し掛けなければ、自然と友達ができるということもなかった。

友だちが全くいなかったわけじゃないけど、少なかったし、何よりも中学や高校の頃のように価値感の合う人と中々出会うことが出来なかった。

 

講義を一緒に受ける友人たちは何人かいたが、私は彼らが話すことに話題に対して、「何がおもしろいのか」が全くわからなかくて、そしてそんな会話に対して無理にでもその輪に入ってやろうとはどうしても思えなくて、モヤモヤとした大学生活を送った。

注:「何がおもしろいのかわからない話」=パチンコの話

 

大学を卒業して社会人になってからも、私は自分のコミュニケーション能力のなさに悩んだ。

 

私は会議のような場で意見を発することができなかった。

 

やっぱり私はここでも、人とのコミュニケーションに悩むことになった。

コミュニケーション能力は本から学べるのか?

人とのコミュニケーションに悩んでいた私は、だからと言ってそれを甘んじて受けれいていたわけではなく、「心理学」を必死になって勉強した。

心理学さえ学べば、自分の言いたいことを言え、人から好かれると思っていた。だから私は大学時代、Amazonの一回の注文で何万円というレベルで、「心理学」の本を買い漁って読んだ。

 

でも心理学を必死になって学んでも、しゃべれないとうことに変わりはなかった。

心理学の本には、有名な心理学者が考えたテクニックや考察がたくさん載っていたけど、それを知ったからといって、それを使う場面がわからなかったからだ。

 

いくら本を読んでも、しゃべれない自分であるという現実は変わらなかった。

コミュ力があると思っていた人についてわかったこと

そんなふうに悩んでいた時のことだった。

ある場所で出会った人がいた。

 

その人は男女関係なく人見知りせず話しかけ、初対面でも沈黙することなく話していた。「すごくコミュ力がある」と思った。「自分が求めているコミュニケーション能力はこれだ」と思った。

 

しかし私はその後、その人と話す機会があって気付いたことがった。

 

その人はたしかに話題が豊富だった。

その人はたしかに言葉を次々と口から出すのが得意だった。

その人と話しているとたしかに沈黙は生まれなかった。

 

 

 

だけど、

その人と話しているとすごく息苦しさを感じた。

 

たしかに沈黙は生まれなかったけど、

その人はその人が話したいことだけを次々と話し、

その1つ1つに好意的な反応を求めてられているようで、話していてものすごく疲れた。

 

その時私はやっと、

「コミュニケーション能力はただ話すことではない」と知った。

 

コミュニケーションとは相手にフォーカスすること

私は自分では人よりもコミュニケーション能力が劣っていると思っているけど、人にはよく「話しやすい」とか「コミュニケーションしっかりしているから面接うまくいきそう」とか言われる。

中学や高校の頃も、異性と話さないタイプの女の子たちが、私にだけよく話しかけてくるということがよくあった。

 

その当時は気付かなかったけど、今では、よくしゃべることだけがコミュニケーション能ではないとわかるようになった。

 

そうわかるようになったのは、上に書いたよくしゃべる人との出会いもあるし、他の人との出会いの影響もある。私が意識的にコミュニケーション能力について考え続けてきたというのが一番大きいと思う。

 

私は基本的には世の中の人は皆、自分のことをしゃべりたい、わかってもらいたいという思いを持っていると考えている。そしてどんな人からだって最低でも一つや二つは新しいことを学べると信じている。

 

それは大統領でも幼稚園児でも同じだ。

 

だから私は自分ではあまりしゃべれないけれど、相手が気持ちよく話してくれたらそれは自分にとってベストなコミュニケーションの取り方だと今では思っている。

 

でも、「じゃあやっぱりコミュニケーションとは聞くことなのか?」と言われたら、私はそれも少し違うと考えている。

 

相手にフォーカスするというのは、必ずしもコミュニケーションの受け身になるということを意味しない。

 

私のように自分のことをうまく話せない人もいるし、自分のことばかりをしゃべる人だって、実のところ、ただ沈黙を恐れているだけの場合もあるからだ。

 

私が思うコミュニケーション能力とは、相手に興味を持って、相手の言葉やトーン、表情から感情を読み取って、相手が欲している言葉を投げかけてあげることだ。

 

いくら熱心に話を聞いても、次の日に会った時に前日に聞いた話を忘れていたら、それを話した人はショックを受けるし、たとえば恋人や奥さんが一生懸命作って、「ちょっと自信ないけど」と言いながらテーブルに出した料理に対して、「ちょっと焦げてる」とか言ったら、ガッカリされる。

 

たいていの場合人は、何か相手に言葉を投げかける時に、その解答を頭の中で予測している。

 

たとえばこのプレゼントを渡したら、「わあーうれしいー」と言ってくれるだろうとか、この話をしたら「すごーい」と言ってくれるだろうとか。

 

人がコミュニケーションがうまくいっていると感じるのは、この予測と実際の解答が一致した時だ。

逆に言うと、この予測と実際の解答があまりのも離れていると、「この人は合わない」と思われる。

 

 

そしてコミュニケーションを円滑にするために、相手の予測を推測し、的確なコミュニケーションを取るには、【相手にフォーカス】することが重要になる。

たいていの場合、相手が欲している解答は、発する言葉や表情、声のトーンから読み取れるからだ。

 

相手にフォーカスするというのは、少し抽象的に言うと、相手の心の中に自分を投影するということでもある。

自分を相手に合わせるというと、少し媚びている感じがするが、コミュニケーションというのは自分一人で完結できるものではなく、必ず他者が必要だ。だから自分のコミュニケーションスタイルをただ貫くのではなく、カメレオンのように相手に合わせたコミュニケーションのスタイルを選択していくことが大事なのだ。

 

話したいことがあるんだなと感じた人には相手が欲しているリアクションをしながら耳を傾ける。本当は沈黙を恐れてしゃべっているだけなんじゃないかな?と思う人には、こちらから話題を提供してみる。

 

人とコミュニケーションを取る時に意識しなければならないのは、自分ではなく相手だ。

 

コミュニケーションに悩みまくった私がたどり着いたのが、こういう結論だった。