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消費に果てはない

2017年9月14日

私青山には、答えに詰まる類の質問が存在する。

「何か欲しい物ある? 」である。

この質問に対する答えが一向に出てこないのである。それは日常の醤油が切れてるから欲しいとか、米が欲しいとかではなく、例えば誕生日プレゼントなんかのこと。

ミニマリストは、物が幸福をもたらすことがないということを知っている。正確には、消費が心を満たすことがないということを知っている。

必要なモノと本当に良いと思えるモノさえあれば幸せに生きていけるということを知っている。だからミニマリストはよく考え、よく観察し、無駄なモノを買うことのない生活を送っている。そんな生活を続けていくと、嫌でもお金が貯まっていく。

 

これは消費に価値を感じる人たちにはわからない生き方だ。

 

ブランド物の服を買って、高い家賃の家に住んで、「おいミニマリストさんよ、何が楽しくて毎日生きているんだ?」と彼らは言う。

 

だけどそもそもの土俵が違うのだ。

 

少なくとも私は、彼らのそういう生き方が間違っているとは思わない。生きるためには原動力が必要だし、そのエネルギーの源が消費活動であるならばそれは悪いことではない。土俵が違うというのは、彼らが消費に感じる幸福感を、ミニマリストは別の何かで感じているというのに過ぎないということである。

 

少なくとも私青山は、悟りの境地に達しているわけじゃないから、働くということに、生きるということに対して何かしらの原動力を持っている。それは経験だったり、勉強だったりするし、じゃあ結局はお金使ってるじゃん?となるし、その通りだ。それでも圧倒的なスピードで、かつ我慢することなくミニマリストがお金を貯められるのは、価値を感じる対象の依存性+価格の違いにほかならない。

 

日本では、消費に限りがない。消費とは食べても食べても太らないケーキのように、誘惑だけを絶えず続ける存在なのだ。

 

ミニマリストは幸福とはモノではなく、自らの心の中にあるということを知っているし、消費社会とはある意味刺激的で魅力的な荒波であるということも知っている。だからこそ敢えて距離を置くというのを意識しているし、のまれないように注意して生きている。心を満たすのに、それほどお金はかからないのだから。