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「いつだって I believeさ」無駄なことはないとシンプル様は言う

2017年9月16日

あなたは子供のころに何か習い事に通っていましたか?

私は書道とかスイミングとかに通っていました。

教育熱心な家庭だと学校終わりは必ず習い事とかありそうですね。私の知人は毎日のように習い事に通わされていたそうです。通わされと書いたのは、その子が「嫌だった」と言っていたからです。

ただ、大人になってみれば、それが今に活かされていると言っておりましたが・・・・・・。

一般的に子ども時代の人生のプレイヤーは親である可能性が高いです。プレイヤーというのは選択権を持つ者のことです。投資的視点でのプレイヤーです。

 

立派な大人になって欲しいといった抽象的なものから、学校のテストで一番をとって欲しいといった具体的なものまで、彼らは暗に投資としての見返りを求めて、選択を行っていきます。期待しているという意味でも、それは決して悪いことではないと思いますが・・・・・・。

 

子どもを大学に進学させて、就職させるまでに、数千万かかると言われますよね?

 

それほど大きな投資ですよ、見返りを求めて当たり前でしょう?

 

行く行くは介護が必要になったときに面倒を見てもらうというところまでつながるのかもしれません。

 

青山はかつて、子は親の奴隷なのでは?と考えていたことがありました。よほど薄情な人でない限りは、人は恩を恩で返すものです。だから、親が子に投資すればするほど、子は恩を返さなければと、親から離れることができなくなると思ったからです。つまりは首輪をつけられるということだと。それでも実際のところは、大人になり親元を離れてしまえば、投資プレイヤーはあなた自身にうつります。

 

「時代はグローバル化だ。英会話を習おう」と思い立ち、数か月で挫折するのも、「筋トレしてモテるようになりたい」とジムに通い会費だけ払い続けるのも、全てはあなたの自由で、自己責任で、誰のせいにもできない。あなた自身のおかげで、あなた自身のせいなのです。

 

いったいどれだけのお金と時間を無駄にしてきました?

 

思い返してみてください。

 

使わない道具、読まない本。そのすべては無駄

 

無駄

無駄

無駄

意味なし

意味なし

意味なし

 

人生のゴミ箱行きのガラクタたち!

 

人生に無駄なことはないという言葉は、一見すると名言らしく思えますが、そんなものは人生の負け組の戯言に過ぎません。無駄なことがないと言うのは、それが無駄だと認めるのが恐いだけです!

私の人生は意味がなかったと認めるのが恐いだけでしょう。

 

さっさと認めればいい。

 


 

青山君!

世間はすっかり冬支度だね!

公園のベンチに座る私の前に、缶コーヒーを持ったシンプル様が現れた。

 

「どうぞ青山君!」

「ありがとうございます!」

 

どうやら心が冷えているようだね!

 

シンプル様が来たというだけで、なぜか心が温かくなった。それはもしかしたらホットコーヒーのおかげかもしれないけれど。

 

なるほどね青山君!君は時間を無駄にしたと考えているのだね。

 

それじゃ、ゴミ箱のガラクタにチャンスをあげようじゃないか。

 

???

???

 

青山君、君は学生時代に勉強した数学や物理、社会、国語、その他何でもさ、それらが無駄だったと思うかい?

「日常生活で必要なこともありますが、それほど役に立たないこともたくさんあったと思います」

 

なるほどね。

 

青山君、学校や習い事で教えてくれることは、

可能性という概念なのだよ。

 

それは2つの意味、すなわち抽象的な意味と具体的な意味を持つ。

  • 一つ目は、君の得意なこと夢中になれるということを見つけるという直接的な役目さ。

サッカーを例にとろう。

子どものころからサッカーが好きで、プロになっている人たちなんかは例外なくあてはまる。彼らはサッカーという一つの物事に全力を注いできたのさ。サッカーが好きで好きで仕方がない。サッカー=人生なのさ。彼らは人生の時間とお金の多くをサッカーという投資対象に投資してきた。レイヤーが親から本人に移ろうとも、彼らはそれを続けた。そしてそれがうまくいったのだ。

  • そして二つ目が、人生そのものを向上させるという間接的な役目さ。

これはとても大事なことだよ。青山君、まず始めに、世の中は考え方から作られるという前提を決して忘れてはいけないよ。ある物事を人生向上につなげるには、抽象的思考が必須になる。これができるか、できないかで、ある投資対象が無駄になるかそうならないかが決まるのだ。

 

先ほどと同じようにサッカーを例にとろう。

誰もがプロになれるわけではない。むしろなれない人たちのほうが圧倒的に多い。そこで幾人かの人たちは楽しかった過去の思い出のひとつ(サッカー)として引き出しにしまってしまう。ところが幾人かの人たちは、その経験(サッカーという活動から学んだこと)を死ぬまで再利用していく。

 

そう、そう、リサイクルさ!

 

例えばサッカーで培ったチームワークや戦略を仕事に応用するのだ。コミュニケーションというのは、仕事上の最重要スキルだからね。体育会系の部活に所属していたことが、就職に有利になるというのも、この二つ目の力のおかげさ。二つ目の役目には応用力、つまりは抽象化思考が必須になるのだ。

 

物事の本質と言うのは、実にシンプルで、実に似通っている。だからそれを抜き取ることができれば、あらゆる事柄をあらゆる事柄に応用することが可能になるのだ。

 

ゴミ箱のガラクタをピカピカの黄金にするのには、抽象化思考が必要になるのだよ!

 

ところで青山君、君のサッカーは失敗かい?

君の英会話は失敗かい?

それはこれから先の君が決めるのだよ!

仮に人生のガラクタで終わろうとも落ち込んじゃいけないよ。

君の人生はまだ続いていく。

死ぬその瞬間までI believeさ。

私にとって君は特別な存在なのだからね。