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「ハゲワシと少女」の写真について思うこと

「ハゲワシと少女」と呼ばれている1枚の写真をご存知ですか?

その写真を見ると、私はこの世の中に正解はないのだと思わされずにはいられません。

「ハゲワシと少女」というタイトルで呼ばれるある写真は、内戦中のスーダンで撮られた写真ですが、まともな食べ物が食べれずにやせ細り地面にうずくまる少女を、ハゲワシが狙っている場面を写したものです。

私は、森達也さんの本で知ったのですが、すごく有名な写真らしいので、あなたは知っているかもしれません。どこかで見たことがあった気もしますがまぁそれはいいでしょう。

 

写真を撮影したのはカーターさんという方ですが、この写真でピューリッツアー賞を受賞しています。

 

 

と、ここまではよいのですが、問題はここからです。

 

このピーターさんですが、賞受賞後に自殺しています。

 

なぜか?

原因については、本人にしかわからないことなのでここには書きません。

 

事実としてあるのは、

「ハゲワシと少女」の写真が、賞受賞後にある論争を巻き起こしたことです。そして、多くの批判の声が、カーター氏に寄せられたということです。

 

それは、

まず先に「なぜ少女を助けなかったのか?」ということについてです。

 

誤解のないように言っておくと、カーター氏曰く、「写真を撮った後に追い払った」そうです。

 

決して他人事ではありません。

 

これについては、これまでも、そして今現在も我々が答えを出せずにいる問題です。

 

【何を優先するべきか?】ということです。

 

火災にしても、地震にしても、津波にしてもそうですが、プロのカメラマンはもちろんですが、誰かが残した記録の中には、素人が記録したものも複数あります。

中には一見すると、「撮る前にまず先にやることがあるんじゃないのか?」と感じるものがあることは事実です。

では、その時、その撮影者は、撮影をやめて、【何か】をするべきだったのでしょうか?

 

しかし、もしも誰も記録に残さなければ、その時の状況を知ることができないし、例えば、戦争の悲惨さを知るという意味でも、ありのままのリアルさを訴えることができなくなります。

 

この問題に関して、一体誰が「絶対に正しい答え」を出すことができるのでしょうか?

 

一般的な意見で言えば、写真よりも何よりも、人命優先という声が多いでしょう。でも、【何かを伝えたい】人たちにとっては、そのリアルさこそ、人の心を動かす武器になるのです。まさしく彼らにとっては、命懸けの写真です。

ジャーナリストであり、戦場で撃たれて亡くなった山本美香さんも、【伝える】という命懸けの使命感を持っていた一人です。

 

 

例えばこれは、見方を変えれば、1人を取るか?、100人を取るか?というテーマにもなり得ます。

 

・目の前の1人を助けるのか?

 

それとも、仮に、

・その写真なりを見て心を動かされた大衆が戦争を終わらせれば、100人の命が助かるとします。

 

さて、

どちらを選ぶのが正しいのでしょうか?

 

心理学かなんかにこういう問題ありますよね。

もちろん物事はこんなに単純ではありませんが、でも、先の「ハゲワシと少女」に関しても、結果的に話題になり、誰かの行動に良い影響を与えたこともあったことでしょう。例えばその写真を見て、寄付をしたり、何かを変えるために戦地に赴いた人だっていたかもしれません。

 

ですから、1人を取るか?それとも100人を取るか?というテーマは、あながち間違ってもいないはずです。

 

あなたはどちらを取るべきだと思いますか?

 

私は、撮る人間に【何かを伝えたい】という信念があれば、記録するという行為が優先的になることは間違いではないと思います。

ただ、おもしろおかしく撮っているのなら論外ですが、例えば、戦場ジャーナリストの方はとくに、【記録して大衆に届ける】という行為が、【現実を変えることができると信じています】。

そこに信念があるのなら、彼らの選択は間違いではないと私は思います。

 

彼らもきっと葛藤を抱えているし、目の前の悲しい現実に心を痛めてもいます。そして、だからこそ、何としてでも無関心な大衆の心を動かす写真を撮りたいと思っているはずなのです。

 

無関心な大衆の心を動かしたという意味では、カーター氏に対する批判でさえも、無意味なものだったとは言えないんじゃないかと、私は思います。