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心温まる光景

2017年9月15日

人は誰かを救いたがっている

日中、繁華街を歩いていると、目の前のある光景が目に入った。

1人の車いすの男性が映画館に入ろうとしていたのだが、段差を登れないでいた。正確には、まだ登ろうと試みていなかったのだが、おそらくその段差に困るだろうというのが想像できた。

 

それからすぐにその予想は的中して、男性の車いすのタイヤはその段差に道を阻まれた。

 

「あっ!」と思ったその直後、私より数メートル先にいた高校生のカップルの男の子のほうが、車いすの男性に走り寄って、段差を登る手助けをした。

 

あぁ・・・・・・。

 

そのとき私は思った。「人は誰かを救いたがっているのだ」と。

 

もうひとつ別の例がある。

 

これはどこにでもある日常の光景だ。

 

「席どうぞ」

「ありがとう」

 

電車等で、お年寄りや妊婦さんに席を譲る場合のやりとり。ただし、どうぞの返しがいつも「ありがとう」とは限らない。「すぐに降りるからいい」とか、「ただ大丈夫です」とか言って断られる場合もある。

 

私は何度もその光景を目にしてきた。

 

「どうぞ」というときのやさしさ。座り続けることの気まずさ。理由はそれぞれだけど、誰かの価値観から生まれる「どうぞ」という言葉。

 

席を譲ってもらったときに断る気持ちは、私青山にはよくわからないけど、その人なりの価値観もある。私が思うに、誰かの親切に素直に「ありがとう」を言えない人は、誰かに何かをして「ありがとう」をもらうことがないのではないかと思う。

 

優しさは受け取るのにもコツがいる。

 

誰かに何かをしてあげれば、その人、または別の誰かから、自分が困ったときに救いの手が差し伸べられる。これはもう経験上確実と言ってもいい。そのときのうれしさは、きっと感動となって伝染していくのである。そういう優しさの環を途切れさせたくなくて、人は人に救いを与えたがるのだろうと思う。人は誰かを救いたがっている。今日も至る所で、人はその優しい手を誰かに差し伸べようとしている。繁華街で見た高校生のように。

日常

Posted by 青山ゆう