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人生とは過程である

メダルゲームって、やっているとあっという間に時間が経ってしまいますよね。子どもの頃はほぼ一度もやったことがなかったのですが、大人になってから何回かメダルゲームをやってみてそんなことを思いました。こんにちは青山です。

今回は人生という大きな枠組みについて書きます。

 

まず私のような経験の浅い人間が、人生とはどうこうなどと言えるものではありませんが、少なくとも何も考えずになんとなく歳をとっている人たちよりは、多くの経験をしてきて死ぬほど悩んできたという自負があるので、今現在の私が思っていることを書きます。

 

それは人生は過程であるということです。

 

私は大人になるまでゲームセンターにあるメダルゲームをやったことがありませんでした。過去を正確にたどれば数回はあるかもしれませんが。子どもの頃の私は、「メダルゲームをやっている奴はバカだ」ぐらいに考えていました。ゲームセンターに行くと、昼間っから大人がタバコ片手にメダルをガチャガチャやっている。暇人なんだなー」と子どもながらに思っていました。

 

ゲームセンター自体にそれほど行かないというのもありましたが、大人になるまで、メダルゲームに対して否定的な考えを持っていました。

 

大人になってからもメダルゲームをやってみて、べつにはまるということはありませんでしたが、人の誘いで、暇つぶしでメダルゲームをやってみたら、これがちょっと楽しい(笑) 大きく当てて、メダルがたくさん出てくる瞬間というのは、どこかギャンブル性の何かを感じました。でも、子どもの頃の疑心はまだ晴れません。「メダルが出ている時は楽しい瞬間もあるけど、結局0になる」。他のゲームも同じと言えば同じですが、いかんせんメダルという何かに交換できそうなものが出てくるので、他のゲームみたいに、純粋に楽しむという感覚からズレてしまうんですよね。

 

メダルゲームが好きな人、うまい人には、別の意見があるのでしょうが、私は、どこかに出かけて、何かの予定と予定の間に待ち時間があるときにごくたまにやってみる程度ですが、この前は旅行先のホテルの近くのゲームセンターでやりました。「メダルってやることに何の意味があるのだろう?」というのは、依然としてありました。

景品に交換できるわけでもない。メダルを増やして何かがあるわけでもない。誰かと一緒に、あの中心のメイン台をプレーヤーで囲んでやるやつ、アニメキャラの演出とかあるアレです、をやるのは楽しかったりしますが、1人でスロットみたいなのをやってもつまらないし、ただひたすらロボットになった気分でボタン押すだけじゃないですか?あれに【時間を捨てる】という意味意外に何か意味があるのかが本当に疑問です。

 

というようなことを思っていたのですが、最近は、例え0になったとしても、意味がなかったとは言えないんじゃないかと思うようになりました。

 

お金を払ってメダルと交換して、少しゲームを楽しんで、その間にメダルがなくなりそうになったり大量にゲットしたりして、「楽しい」という感情を抱いて、でもその後、0になるときがやってきます。

 

何か残るモノはありませんでした。少なくとも私には。

 

でもじゃあそれが無駄な時間だったかと言えば、【楽しい】という感情を抱いた自分はたしかにいたわけです。目に見える成果はどこにもなくても、過程を楽しむことができたと言えます。

 

思えば人生だってそうです。

 

受験に合格した。仕事を辞めた。結婚した。出世した。

 

人生を振り返る時、多くの場合、人は過程を飛ばします。

 

受験に合格するまでの血のにじむような努力。仕事を辞めるまでの楽しかった日々、つらかった日々、結婚するまでに2人で行った場所、喧嘩した日、結婚を意識するようになった出来事・・・

 

歴史の教科書だってそうです。

 

〇〇〇〇年 〇〇の乱

 

私たちが教科書で覚えるのは、ここまでです。それさえ覚えておけば、テストで100点を取れます。

 

でもそこには、その時代に生きた人々の希望や苦悩の毎日があります。スイッチ一つで大きな事件が起きたわけではありません。そんなこと有り得ないのです。誰々が誰々に話を持ちかけて、もしかしたら時代を変えられるかもしれないと、昨日収穫したばかりの米を、近所の川で釣った魚をおかずに食べながら、話していたかもしれません。

 

社会に出れば、結果こそが全てだと私たちは教えられます。

 

 

毎日、毎日、朝は早く、夜は遅くまで仕事しても、目に見える結果が出せなければ、出世もできないし、給料も上がりません。そして、多くの人は、始めから与えられてる、確実に目に見える成果を出せる仕事に精を出すようになります。

 

起業するにしてもそうです。「失敗したらどうするの?」という言葉には、目に見える成果が何もないことへの恐れがあります。うまくいかないことは、何も残らなかったことを意味すると思っているのです。

 

でも考えてみてください。人生の多くの時間を、私たちは過程に割いています。家から駅まで歩いて、「〇〇駅に到着しました」というひとつの結果の中に、15分かけて駅まで歩いて、近所の猫が気持ちよさそうに寝ていて、カラスがゴミを漁っていて、キンモクセイの香りが良いにおいで、まだ歩き方のぎこちない幼い子どもを見て、「結婚って良いかも」と思ってしまう自分がいたり、一つの結果の中に、語られることのない数え切れないくらいの出来事が存在します。

 

それを考えると、仮に起業を試みて、結果的にうまくいかなかったということになったとしても、その過程できっとものすごくたくさんの気付きを得ているはずです。結果だけを見れば、「あーだから会社辞めるなって言ったのに。時間無駄にしたね」と言われてしまうかもしれませんが、過程を見れば、端からはわからないくらいにたくさんの経験をしているはずです。

 

人間は【死】という結果に向かうちっぽけな存在でしかありません。大きくみればその全てが【死】への過程です。ですからまさに、人生とは過程であると言えるのではないでしょうか?

 

私は、「結果こそ全てである」と考えていたので、何も成果を生まないメダルゲームを毛嫌いしていたのです。メダルゲームはきっと、過程を楽しむゲームです。メダルゲームを楽しめる人は、道端のキンモクセイの香りを楽しめるんじゃないかと私は思います。