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既卒になったら人生終わりというのは他者依存の生き方

2017年7月3日

 

コンビニのポットでお湯を入れていたら変なおじさんに絡まれて、「早くどっか行ってくれないかな」と思いながら、愛想笑いでやり過ごして立ち尽くしていましたら、そのおじさんのさらに後ろにいたもう一人のおじさんに「ポット使いたいから早くどいてくれない」的な舌打ちをいただきました。ごちそうさまです。青山です。

この前バス停で、通り過ぎる人全員に暴言を吐いているおじいさんがいたんですけど、例に漏れず私も暴言をいただきましたが、「あいつに何の得があるんだ?」と今でも不思議に思っています(笑) 今回の話には全く関係ありませんが。

 

既卒になったら人生終わりというのは、既卒になりそうな人、もしくは実際に既卒になった人がよく目にする言葉ですね。

 

私も就職先がないまま大学を卒業することになったとき、「べつに問題ないだろ」という表面的な強がりの反面、時々ふとした瞬間に襲われるどうしようもない不安感みたいなものも確かにあって、それは主にはネットなんかで、「既卒になったら人生終わり」というのを目にしていたというのもあります。

 

その時は視野が狭かったので、全然見えていなかったのですが、今になって、その当時の点を今現在までの点に繋げてみると、「既卒になったら終わりというのは他者依存の考え方」だったのだなと思いました。

 

それは会社や他人に依存するという生き方です。

 

もしも起業家として生きることに決めたなら、大卒という肩書すら不要になります。

 

起業なんてできないって?

 

一般的な会社員だって同じです。

 

 

例えば、既卒という理由でたくさんの会社の選考に落ちたとしても、実際に私はたくさん落ちました。受かった1社であなたのできることを全力でやればいいんです。そしてスキルを身につけて転職なりをすればいい。まずは自分で自分の価値を高めることに専念するのです。

 

「既卒になったら人生終わり」というのは、絶対的な終身雇用主義の社会で、新卒入社で順風満帆の人生を歩み定年まで勤めあげるという幻想に基づいた考えでしかないのです。

 

会社が倒産する、リストラされる、鬱になる、etc

 

不確実な未来に舵を切る私たちの世代にとっては、

 

 

どこかの誰かに持たされたそんな根拠のない幻想(安定)にしがみつこうとすることこそ、リスクに他ならないのです。

 

 

社会に出ると、たくさんの哀れな人々と出会います。

 

毎日不平不満ばかり口にしている人。

 

「俺の人生なんでこんなことになったんだ?」

 

上から理不尽なことを言われても「はい」としか言えない人々。

 

 

なぜ彼らがそんな人生を歩むことになったのか?

 

それは彼らがひとえに常識のレールの上を走り続けた結果です。

 

彼らは自分の頭で考える力とその会社を出ても生きていけるスキルを磨かなかったのです。

 

そう、常識のレールの終着点は地獄だったのです。そこに辿り着くまでにはいくつかのきれいな景色がありました。でもそれすらもスクリーンに投影された幻覚だったのです。

 

 

既卒という立場にある人は、意図せずとも常識を打ち破った存在です。

 

レールの外の世界で必要になるのは、常識というレールの上で必要だったこととは異なります。

 

レールの外で必要になるのは、自分の力で生きていく力です。

 

例えばコピーライティングという文章でモノを売るスキルがあるのですが、そのスキルは、焼け野原でもペンと紙だけあれば立ち上がれるスキルと呼ばれています。

 

外の世界で必要になるのは、自分の頭で考える力とコピーライティングのようなスキルです。