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「部分否定という概念を大切にしなさい」シンプル様の優しさ

2017年9月17日

ニートは生きている価値がない

私青山にはかつてニートの期間がありました。と言っても何もせずにダラダラ、あるいは1日中ゲームというのではなく、勉強したり読書したりしていました。

「だからなんやねん?働いてないやん?」

 

と言われたらその通りで、実際その通りだったのですが、そりゃまぁ精神的に良い状態とは言えませんでしたね。

 

働いていない=ダメな奴

働いていない=私

私=ダメな奴

 

=生きている価値がない

 

レジで会計してもらうのすら恐い。そもそも人が恐い。まわりの皆が立派に見えて自己嫌悪に陥る。何もしていない何もできない自分がクズすぎる。挙動不審感がMAXでした。社会から「死ね!」と言われているような錯覚を起こすのですよ(笑) それでも「自分のやっていることは間違っていない」と強く思っていましたけどね。大きく飛ぶには大きく沈む必要があるって。

 

私には、いろんな人につい愚痴ってしまうという欠点があります。今日も実家のことを愚痴っていると、ある友人に「あなたはまちがってると思うよ。実の親にどんな影響を受けて育ったかなんて 問題じゃないわ!要は当の本人がどういう意識で生きていくかでしょ?自分の人生だもの、自分の責任で生きなきゃ!他人(親)の責任にして逃げるなんて卑怯だよ」と言われました。

私は何も言い返せないけど、心のなかは負けていません。彼女はまちがっていないけれど、それは私にとっての答えではないと思います。

今、エベレスト級の山を一人でへこたれそうになりながら登っている気分の毎日です。正論を言ってくれる人は、世の中に五万といます。でも、「私の心の答えは、私が思っているひとつだけだ」としみじみ思う今日このごろです。私、まちがっていますか?

『子どもを虐待する私を誰か止めて!』 長谷川博一 2011年 光文社P136より引用

 

そんな折に読んだ本。内容は覚えてないけど、この1節だけがずっと残っている。子供の頃、友達が足を滑らせて池に落ちて泣いていた時、子どもだった青山は池に飛び込んでビショビショになりました。

正論を振りかざして相手を叩きのめすのも、相手を思えばこそ必要な時がある。人を動かすときには、信念のある言葉や態度が必要になるし、その人の人生が変われば、きっとその人は感謝するだろう。でも時には、一緒に笑われたり、怒られたりすることがあってもいい。

 


 

平日の昼間、表参道のカフェでシンプル様とのんびりと過ごす。

一緒に頼んだクッキーの模様をボーっと見ていたから、シンプル様の声にハッとする。

 

「いいかい青山君、これを忘れてはいけないよ!」

部分否定という考え方だよ!!

 

ニートには価値がない。

 

そんなもの誰が決めた?誰が決めるのだ?

 

ニートには価値がある。

 

価値ってなんだ?そんなもの誰がどう測る?

 

 

果てしない議論が続いていくだけさ。

 

それぞれの立場の人間がそれぞれの生き方や考えを持っているのだからね。

 

かつての君だってそうさ。

 

ニートには価値がない。

→それはおかしい。知識を蓄える期間が必要だ。

ニートには価値がある

→それもおかしい。現に私は立派じゃない。

 

ほら、果てがないじゃないか!

 

それならばもっと楽にいこうじゃないか!

ニートには価値がないわけではない。

 

間違っているということと、正しくないということとは、同じことではないのだよ。

 

 

君がこの先誰もが羨むような成功を手に入れようと、あるいは、通行人に指をさされて笑われるほどに落ちぶれようと、どちらにせよ君自身が思うことを大切にしたまえ!