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「どちら側から見るかで変わることもあるのさ」正しさはないとシンプル様は言う。

2017年9月16日

「青山君、この世の中では、ある日突然加害者家族になってしまうことがあるのだよ。君自身が加害者になることは考えたくないがね」シンプル様は言った。

「あるいは、被害者・遺族になってしまうこともあるのだよ」

「一方は幸せになる資格がないと感じ、もう一方は幸せになれないと感じる。ある点で最大の当事者であり、また別のある点では部外者でもある。自分自身の問題は、ある程度までは自分で管理することができる。けれども交通事故等で加害者になってしまうこともあれば、被害者になることもあり、加害者家族・被害者家族になることもある」

 

「シンプル様、以前に『犯罪被害者の声が聞こえますか』という本を読んだことがあるのですが、そこには被害者の方々が被害者の「権利」を勝ち取るために、同じ痛みを持つ者同士で団結し、「全国犯罪被害者の会」を結成し、日本を変えていく軌跡が描かれていました」

「世の中には目を覆いたくなるような残酷な事件がたくさんあります。人を殺さないというのはそれほど難しいことですか?意図的な重罪には大きな罰が科されるべきだと私は思います」

「もちろん私も同じ考えだよ青山君、ところで犯罪は個人で罰せられるべきだろうか、それとも集合体で罰せられるべきだろうか?」

「大きな事件であればあるほどに、その影響は個人だけに留まらなくなる。加害者家族はそれまでいた場所に住みづらくなり、仕事や学校を辞めざるをえなくなるかもしれない。ネットや近所の噂話など、いつもビクビクして過ごさなければならなくなるかもしれない。それは法律によって罰せられているとは言えないが、社会的な制裁は受けているとは言える。そして、驚くべきことに、被害者家族もまた、加害者家族と同じような被害にあう可能性がある」

「加害者が未成年である場合には、監督責任といったように、個人としてよりも集合体としての保護者のほうに罪の目が向けられる傾向がある」

 

子どもの頃のことだった。阿部は学校の放課後、外国人の子どもたちと一緒に過ごすというボランティア活動に参加していた。在日の朝鮮人、中国人、そしてブラジル人などの子どもたちがいて分け隔てなく遊んでいたが、あるとき日本人の子どもが一人の外国人の子どもを指差し、こう言った。

「あいつの父親は人殺しなんだぜ」

阿部は怖いと思った。そして、ボランティアのリーダーである男性にその気持ちを正直に話した。

「どうして怖いと思うんだ?」と聞かれたとき、こう答えてしまったという。

「だってあの子もお父さんと同じように人を殺すかもしれないでしょう」子どもの考えは、ときとして大人以上にストレートで残酷だ。だが、阿部の言葉を聞いたリーダーは顔色一つ変えなかった。その後のやりとりを阿部はいまでも忘れることがないという。

「どうしてそう思うんだ。君は大きくなったとき、君のお父さんやお母さんとまったく同じ仕事、同じ生活をすると思うかい?」

「・・・・・・いえ、そんなことはないと思います」

「だったら、あの子も将来、お父さんと同じ人殺しになるとはいえないよね」

阿部は魔法が解けたような気持になったという。それ以来、その殺人犯の子どもとは普通に接することができるようになった。

『加害者家族』 鈴木伸元 2010年11月 幻冬舎新書 P189、190より引用

※阿部さん=加害者家族の支援を行う市民団体ワールドオープンハート設立者

 


 

「青山君はどう思う?」

「何かを考えるときには両者の視点が必要なんですね。例えば戦争なんかも」

「私は以前に駅構内である光景を見ました。座り込んで泣く子どもを母親が怒鳴りつけて、その母親はそのまま子どもを置いて歩いていきました。これだけ話すと、母親が悪者みたいですね」

その通りだよ!!

 

「その母親はすぐに戻ってきて、手に持った人形ですぐに子どもの笑顔を取り戻しました。どうだい青山君、それならハッピーかい?もちろんこれはイメージにすぎないよ」

「けれどもそういう未来がないわけではない。君はその先を見ていないのだからね。そして、それ以前すら見ていないのだから」

 

こういうことは日常の至る所で起きているのだ。

そこにはただ事実とイメージがあるだけさ。

 

人通りの多い駅構内で泣いている子どもがいたこと、もしかしたら子育てに追い詰められていたのかもしれない母親がいたこと、その横を通り過ぎるたくさんの人々がいたこと。

 

青山君、君を含んだ群衆は無関心な社会そのものなのだよ。

 

こういうことは日常の至る所で起きている。

それに気づいただけマシなほうさ。

 

優しさとは知ることから生まれるのだからね!!

 

困ったときには視点を移動してみたまえ!!

間違っているということと、正しくないということは同じではないのだよ。

決して常識に囚われてはいけないよ。

「ところで青山君、家の近くにカフェがオープンしたんだ。ちょっと行ってみないかい?」