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スティーブ・ジョブズやマーク・ザッカーバーグは毎日同じ服を着ることで生活の選択肢を捨て、人生の可能性を広げた

2018年9月24日

スティーブ・ジョブズやマーク・ザッカーバーグは生活をシンプルにするためにいつも同じ洋服を着ていた、着ているらしい。

人生をシンプルに捉える

大きな成功を収めた人たちの中には、生活スタイルがものすごくシンプルな人が多い。

たとえばスティーブ・ジョブズの、イッセイミヤケの黒色のハイネックのトップスはあまりにも有名だ。

フェイスブックの創業者マーク・ザッカーバーグも、服にはあまりこだわりがないというのを本で読んだ。

 

本当のところはわからないけど、彼らに言わせれば、朝起きて何を着ていくか?に迷うことは、「時間の無駄」らしい。

 

「そんなのちょっとした時間じゃん?」と思うかもしれないが、彼らのような多忙な人間にとっては、そういうちょっとした時間の使い方が非常に重要なことなのだ。そして彼らにとっては「考えること」は非常に重要なことで、その大事なことを、たかが着ていく洋服を選ぶために使いたくないと考えているのだ。

 

彼らはたぶん、私たちが「今日何着ていこうか?」と考えている時に、「どうやって世界を変えようか?」ということを考えているのだと思う。

生活をシンプルにすると「やるべきこと」が見えてくる

私自身はスティーブ・ジョブズやマーク・ザッカーバーグの影響を受けたわけじゃないけど、ファッションスタイルを固定しているから、もうここ8年くらいは朝起きて「今日何を着ていこう?」と悩んでいない。

洗濯し忘れて焦ったり、思いのほか寒かったり暑かったりして「どうしよう?」と思うことはあるけど、それ以外には迷ったりしない。

パンツは同じ種類の色違いのものしか持っていないし、ジャケットが2着とシャツが1枚、それとTシャツが3枚くらい。

世界一シンプルなクローゼットだ。

パンツに関してはサイズ感に異常にこだわりがあって、今のパンツにたどりつくまでに7年くらいの年月がかかった。今はもうその店舗のそのパンツしか購入していない。

 

生活をシンプルにするというのは洋服に限らず、たとえば私は、友人、家族などからのラインを除いて、極力自分のスマホにメッセージが届かないように努めている。必要なメルマガなどを除きメルマガは受け取らないし、過去に何らかの理由で会員登録したサービスなどに関しても、たとえば自己アフィリエイトに使用したFXの口座など、1通でもメールを送ってきたら全て解約している。

だからたとえば万が一メールアドレスなどを変えた時でも、変更する場所が少ないから楽だ。

 

毎日食べる物や飲む物も、できれば固定化したいと思っている。

こだわりがないということは、実はこだわりがありすぎるということでもあると思う。

 

そうやって生活をシンプルにシンプルにしていくと、ある現実に直面することになる。

それは「やるべきこと」をやらざるを得ない状態に追い込まれるということである。

「やるべきこと」だけに集中する

たぶん世の中の誰もが皆、本当は今やるべきことを持っているのだと私は思う。

だけど「今日は見たいテレビがあるから」とか「今日は友だちに誘われたから」とか、

「まずは部屋の掃除をしてから」とか、

何か別のことに注意を逸らして「やるべきこと」に取り組まないでいる。

 

それは子どもの頃に誰もが経験した「夏休みの宿題」のようなものだ。

 

必ずやらなければならなくて、そして自分でもそれはわかっているんだけど、後回しにしてしまう。それはやりたくないという思いもそうだし、たぶん他に考えることがありすぎるというのも原因なのだ。

 

子どもが夏休みの宿題を先延ばしにするのはまだマシなほうだけど、私たち大人がそういう生き方をすると、周囲からの信頼をなくしたり、何も成し遂げられずに棺桶に入ることになったりする。

 

人はよく「自分探しの旅に出たい」というけど、私はそれって、ただ「今やるべきこと」からの逃避に過ぎないんじゃないかと思う。

本当はいつでも、誰にも、「今やるべきこと」がある。そして本人にもそれがわかっている。だけどそう思いたくないだけなのだ。

私がニートだった頃のタスク

私がニートのような生活を送っていた頃、私は必死になっていろいろな資格を取得したり、今しか行けないからと言って旅行に行ったりしていた。

だけど今になって思えば、それはある意味「やるべきこと」からの【逃避】に過ぎなかったのじゃないかと思う。

私にとって「やるべきこと」とは、「社会に出て働くこと」だった。

そしてそれはずっとわかっていた。何をしている時も、誰と笑っている時も、きっとわかっていたのだと思う。

 

でも社会に出て働く勇気が持てなくて、毎日の生活を複雑にしてごまかしていた。

時間は限られている

「自分が何歳まで生きることができるか?」ということは若い頃にはわからない。

だからちょっと油断していると、毎日をただなんとなく生きてしまったりする。

 

そして気付いた時には、定年退職をするくらいの歳になっていて、そこで初めて「終活」について重い腰をあげたりするのだろう。あるいは不幸にも不治の病にかかり余命を宣告されて、残りの時間の価値を知るのかもしれない。

 

少なくとも、今の私にはそれはわからない。「時間は何よりも大切だ」と思っているけど、心から理解しているとは言い難いのだし。

だけどそれでも、「時間こそが人生で最も価値のあるものである」という信念を持っている。

だからテレビなんて見て、芸能人のアホみたいな内輪話に笑っている暇はないし、クソみたいな会社に入って「石の上にも三年」を信じて働くつもりもない。

 

ある瞬間に何かをやっているということは、その瞬間にできる他のことを捨てることを意味する。

 

あなたがテレビを見ている時、あなたは人生の選択肢の中からテレビ以外の選択肢を全て捨てている。あなたが嫌な会社で泣きそうになりながら働いている時、本当はもっと素敵な人生を歩めるはずのあなた自身を捨てている。

 

人生ってそれでいいんだろうか?

 

私は嫌だ。

 

 

だからこそ私は、生活の選択肢を狭め、「やるべきこと」「本当にやりたいこと」を見えるようにし、そこに向かって全力を尽くすという人生を生きたいと思っている。

 

あなたはどう思いますか?