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怒らないおじいちゃんになりたい。器の大きい人間でありたい。

カフェで、私の前で会計していたおばあさんの店員とのやりとりがあまりにも穏やかな雰囲気で、何十年か後の自分の将来像を考えるきっかけになった。

こんにちは。

青山です。

若い人たちが将来を考えると言うと、金持ちになりたいとかこんな結婚生活を送りたいとか、数年、数十年先の将来をイメージすることが多いと思います。他の国ではわからないけれど、日本では歳をとるということは、老いるということで、あまり歓迎されていない節があります。70歳、80歳、90歳、中には100歳を超える人もいて、そこまでいけば、ご本人がどう思っているかは謎ですが、まわりに感謝されるような人生を歩んできた人たちは、「長生きして」とまわりから励まされるようになるでしょう。しかし、20代、30代、40代の年頃は、自分が将来、杖をついて歩く老人になるという現実を受け入れるのはあまり心地よいものじゃない。

それでも必ず私たちは歳をとるし、今この瞬間も、その時に向かって歩を進めています。人はよく【生きる意味とは?】といったことを考えたりするけど、どんなに頭のよい学者も人生経験豊富な賢者のような老人も、主張はあれど誰も答えは持っていません。私はそれって、そもそも生きる意味などないからだと思っています。生きる意味を欲しているのは、それがないとなんとなく人生が終わってしまいそうとか、こんなダメな自分でも生きていていいんじゃないか?という救いを求めるようなことで、それってたぶん不安から来るものです。生きる意味なんて始めからないのです。だけど人にはきっと人生のゴールはあると思いますそれは死ぬ時です。よく死ぬ瞬間に後悔しないように生きようと言うけど、私たちが日々やっていることってまさにそれなんです。短いスパンで人生を見たときには、現実問題として、例えば、登校拒否になってしまったことやニートになってしまったこと、無職になってしまったことは失敗談の一つで、何も問題を起こさず学校へ通い、毎日同じ仕事をしていることは誇るべきことかもしれません。しかし、長期的なスパンで人生を見たときには、当たり障りなく生きた日々というのは、思い出すことすら不可能なほど何事もなかった日常なんじゃないかと思うのです。短期的なスパンで見た時には、例えば、仕事を辞めて、ずっと行きたいと思っていた1年ほどの海外旅行はリスクがあることかもしれませんが、長期的なスパンで見た時には、たとえそこで問題が起きたとしても、後悔のない人生だったと思えるのではないでしょうか?

 

私はずっとお年寄りを尊敬してきました。なぜなら私にとっては、80代や90代まで生きることだけで、もはや奇跡に等しいことに思えるからです。あなたがどう感じてるかはわかりませんが、生きるって難しくないですか?私はそう思います。経済的に死なないレベルを維持し続けるというのもそうですし、何らかの事故や事件に巻き込まれる、あるいは病気にかかるというのもそうですし。生きるってなんでこんなに難しいのだろうと思います。でもそれはマイナスな考え方というわけでもなくて、生きることって自分にとってはものすごく難しいから、その代わり、生きることさえ守ることができれば、どんな失敗をしても恥ずかしい思いをしてもよしと思って生きています。どんなにつらい状況でも挑戦をやめずに生きよう。つまり私は人生を長期的なスパンで見ることを徹底して生きています。

そして人生を長期的なスパンで見るようになった時に、どんなふうに歳をとっていきたいかと考えることになりますが、その答えは、器の大きい人間でありたいと思います。これは想像の話ですが、歳をとると、自由に身体が動かないことが増え、しかし経験や知識は長く生きている分あるものですから、自分自身のことよりもまわりのことが気になるようになるのではないかと思います。それが良い方向に振れれば、若い世代を引き上げたり世の中をよくする活動に貢献することができます。しかし、悪い方向に向かうと、若者のちょっとした言動が気に食わず理不尽に怒鳴りつけたり、先入観から古い価値観ばかりを押し付ける頑固な老人になってしまいます。

では、前者のような老人を目指し、後者を避けるためにはどうすればよいのか?私の仮定はこうです。

経済的に困窮し続けたままだと卑屈な性格になる。人はやはりお金がないと性格が悪くなる傾向にあると思います。若い頃は他のことに向かうエネルギーがあるからよいですが。お金がないと余裕がなくなって、まわりに優しくするとか考えられなくなります。

挫折を経験しないと傲慢な性格になる。

人は悲しみが多いほど 人には優しくできるのだから

海援隊『贈る言葉』

と歌っていますが、私はこれは本当だと思います。人は想像することはできますが、同じように経験していないことを理解することはできません。だけどこれには大事なポイントがあって、悲しみを経験したことで優しくなるためには、その悲しみを克服しなければなりません。克服できた場合には、「同じような人を助けてあげたい」となりますが、克服できないと、「もっと下の奴はいないか?」みたいな思考になります。貧乏は同じように貧乏な人の気持ちがわかるし、いじめに遭っている人は同じようにいじめに遭っている人の気持ちがわかるでしょうが、貧乏人は貧乏人を救えないし、いじめに遭っている人はいじめに遭っている人を救えません。極論かもしれませんが。

孤独では幸せになれない。お年寄りが孫におもちゃをたくさん買い与えたり、お金をたくさんあげたりして、親からすれば毎回毎回もらって悪いような気になったり、子どもからすれば遠慮がちになったりしますが(何もくれなくても会いに行くのに等)、プレゼントするほうからすれば、かわいい孫が自分を頼ってくれるのがうれしいし、喜んでいる顔を見るのがうれしくて仕方ないのです。それが生きがいなのです。私は人間は社会性の生き物で、歳をとっていくにつれて、自分の欲しい物や幸せよりも、誰かを幸せにすることに幸せを感じるようになっていくと思っています。人は与えられるよりも与えることのほうが幸福を感じやすいのです。ですから与える対象のいない孤独という立場では幸せになれないと思います。それは何も必ずしも孫である必要はなく、団体に所属したりペットに愛情を注ぐことでも満たされます。

とりあえずこんなところにしておきます。この条件を満たせば、心優しき老人になれるかは謎ですが、私のまわりの器の大きい人たちを想像して書きました。器の大きい老人になりたいとう話でした。