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絶望を感じた時には無理に明るい言葉を受け入れたり、笑ったりする必要はないんじゃないかな?と思う

人生に絶望した時、あなたはどう過ごしますか?本当に絶望した時というのは、頑張っていればきっといいことがあるといった綺麗な言葉はそれほど効果的でない気がします。

こんばんは。

青山です。

日々生きていく中で、何もかもうまくいく人というのはきっといないでしょう。世の中には私には想像もつかないほどラッキーな人がいて、毎日最高の笑顔で過ごしている人もいるのかもしれませんが。少なくとも私はというと、もう生きていくのが嫌ということは、これまでに数え切れないほどあります。でもとりあえず今こうして生きているのは事実なので、そういう絶望を何とか乗り越えてきたということでもあります。しかしこれは私が特別ということではなく、人間の持つ不思議な力の一つでもあります。絶望と対峙できずに、自からその命を投げ出してしまう人もいますが、端から見たら耐えられないような絶望を乗り越えてきた人たちもいます。今もなおその傷の癒えない東日本大震災もそうです。大切な人を失い、帰る場所を失い、その場所に足を踏みいれることすれ許されなかった人たち、その悲しみは正直なところ計り知れません。

私が過去に、もう生きていくのが嫌だと感じた絶望は、もっとつらい立場に置かれた人たちと、その出来事を比べたら大したことがありません。でもそれはとても苦しいもので、1日でも先のことを考えるのも辛いという状態でした。そんな時に一つ分かったことは、本当に苦しい時には、頑張ればいいことがあるとか感謝していればいいことがらあるといった、いわゆる綺麗ごとと言われるような言葉が、全く心に響かないということでした。あのような言葉が心に響く時というのは、心の状態が健康な時です。誰かにもっとつらい状況にある人がいると言われても、うるさいとしか思いませんでした。なぜってそんなことわかっているからです。自分の置かれている状況が本当にどうにもならない人に比べたら、そこまで絶望的じゃないことも、人生はいいことばかりではないということも、普段からそんなことわかっています。でも今その問題を自分と照らし合わせることができないのです。わかっていてもどうしようもできないのです。

目を覚まして現実を直視するのが嫌だったので、起きては寝て起きては寝てを繰り返しました。本当にツラい時と言うのは、何も食べる気が起きません。食べるってエネルギーが必要なんだとこの時改めて思いました。普段はどんなに仕事で疲れている時でも、食べないということはありませんが、どんなに疲れていても食べるというエネルギーだけはあったんだと思いました。お腹はたしかに空いています。お腹はへこんでいて、時々グーグーなっています。インスタントラーメンを食べるための簡単な調理がどうしようもなく怠く感じました。袋を開ければすぐに食べられるお菓子も、口に入れる気が起きません。

夜に家を出て、コンビニに寄ってお酒を買いました。コンビニの銀行の手数料がどうしてももったいなくてお金をおろせず(無職時)、財布の中には300円ほどしか入っていませんでした。そのお金でお酒を2本買いました。酔えば少しは楽しくすごせるんじゃないかと思ったのです。その後公園のベンチでお酒を飲んだのですが、空腹なのに全く酔うことはなく、その時に飲んだお酒はこれまで生きてきた中で最もまずいお酒でした。100円がないだけでからあげ棒すら買えないんだな・・・・・・と思うと涙が止まりませんでした。仕事を終えたサラリーマンや、ジョギングをする人たちが見えました。今自分はまわりにいる誰よりも不幸だと思いました。あと誰よりも貧乏だと。偉大な小説家ゲーテは、「涙とともにパンを食べた者でなければ、人生の本当の味はわからない」と言いましたが、なんとかお酒でその条件クリアとしていただきたいところです。

そんな日常を3日ほど送った後、事態は好転の兆しを見せました。いろんなアイデアや言葉が頭の中でくるくると回り始めたのです。

もうここまできたら恥かくのなんてどうでもいいから、何でもできるんじゃない?

よく考えたら自分って恵まれてない?

絶望を感じていた時には、流れて行ってしまった言葉たちが、くるくると頭の中で回転を始めたのです。

まだやれる。

まだ終わってない。

まだ生きているから何かできることがある。

今度のその言葉たちは、心の中にいる否定的な自分には打ち消されませんでした。

不健康な生活を送り、堕落していくように見えた身体は、実は人間の生きる本能としてエネルギーを内に溜め込んでいたのです。

 

これと同じようなことが、ドン・キホーテ創業者である安田さんの自伝にも書いてありました。

まず、休暇をとる。四、五日もあれば十分だろう。「休暇」といっても、海外のリゾート地にでも行って気分転換するとか「自分探しの旅」、なんてヤワな休暇ではない。全くその逆だ。一人で自宅にひきこもるのである。P32より引用

この状態を三日も続ければ、突然、鬱々とした気分が劇的に晴れる時が来る。P33より引用

『安売り王一代 私の「ドン・キホーテ」人生』安田隆夫 文書新書 2015年11月

 

ツラいときには、無理に明るく振舞う必要はないんじゃないかと私は思います。綺麗ごとなんかゴミ箱に捨ててしまえばいいし、一日家引き籠って朝からお酒を飲んでいてもいいと思います。人に害を与えることや取り返しのつかないことを避ければ、落ちている状況を生きるというのも、また人生だと私は思うのです。それを楽しむというのは違うかもしれませんが、それはそれで長い人生なんだから、こんな時があってもおかしくはないんじゃない?と自分を受け入れてあげることはできるはずです。今どうしようもなくツラい状況にある人に、生きていればいいことがあるなんて無責任な言葉は言えないけれど、ダメな人生だと思えてしまっても、そのまま生きていくことはできるのですと私は言いたいです。